「横須賀港」・「ヴェルニー公園」・「ヴェルニー記念館」へ日帰りドライブの旅!

2017/05/04

爽やかな風に誘われ、横須賀港を目指して、車を走らせました。

横須賀港に面する「ヴェルニー公園」からは、アメリカ海軍や日本の海上自衛隊の艦船を眺めることができます。

また、横須賀港からアメリカ海軍施設(横須賀本港)と海上自衛隊の司令部(長浦港)が置かれた港を船でめぐる「YOKOSUKA軍港めぐり」のクルーズが毎日運航しています。

前回は、「YOKOSUKA軍港めぐり」で、アメリカ海軍のイージス艦や海上自衛隊の潜水艦を間近で見ることができました。

今回は、「ヴェルニー公園」「ヴェルニー記念館」をゆっくり散策して、幕末から明治、現在に至るまでの横須賀港の歴史に、ほんの少し触れることができました。

「ヴェルニー公園」は、バラが咲き始め、潮風が心地よく、お散歩日和でした。

横須賀港の歴史

横須賀港は今から約160年前に米国ペリー艦隊が上陸して以来、海軍港として発展してきました。

幕府の勘定奉行小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)らは、外国に対抗するために、強大な海軍が必要と考えました。フランス公使レオン・ロッシュとともに、幕府の重臣たちを説き伏せ、横須賀製鉄所を設立します。

幕府は元治元年(1864)に、この建設をロッシュに依頼し、ロッシュはフランソワ・レオンス・ヴェルニー(フランス海軍大技士)を招くことになりました。

同年、ロッシュたちが横須賀を見学した結果、湾の形に変化があって要害の地であり、風波の心配もなく湾内も広くて深い、また、景色も優れ、フランスのツーロン港に似ているなどの理由から、横須賀を製鉄所の建設地に選んだとされています。

明治維新によって、製鉄所は明治政府に引き継がれましたが、工事は引き続き進められ、横須賀造船所と名前を変えて後の明治8年(1875)ころから本格的な軍艦を建造するようになりました。

その後も、海軍造船所、横須賀海軍工廠と名称を変え、戦艦「陸奥」空母「信濃」をはじめ、数々の軍艦を建造しました。

ヴェルニーの指揮により明治4年(1871)に完成した日本最古のドライドックは、100年以上を経た今も使われています。

昭和20年(1945)以降は米海軍の基地となり、普段は入ることができませんが、対岸のヴェルニー公園から眺めることができます。

ヴェルニー公園

♠ヴェルニー公園は、神奈川県横須賀市汐入町に位置する市立の都市公園(近隣公園)。

♠名称はフランス人技術者レオンス・ヴェルニーに由来。

♠ヴェルニーは、横須賀造兵廠その他の近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援した人物。

♠1946年(昭和21年)に開園した「臨海公園」を2001年(平成13年)にフランス式庭園の様式を取り入れてリニューアルオープンした公園。

♠海側の歩道はボードウォークやベンチが整備されている。

♠夜にはガス灯を模した電灯が辺りを照らす。

♠横須賀港に面するため、アメリカ海軍の横須賀海軍施設と海上自衛隊横須賀基地に停泊する艦船を間近に観察できる。

ヴェルニー記念館

♠フランス・ブルターニュ地方の住宅を模した急傾斜の屋根と石の壁が特徴。

♠ヴェルニーの功績を紹介。

♠旧横須賀製鉄所(横須賀造船所を経て横須賀造兵廠)で使用されていた3トンと0.5トンの鍛造・圧延用蒸気ハンマー(スチームハンマー)が移設保存されている(1865年、オランダ製。0.5トン機、3トン機ともに国の重要文化財に指定)。

♠2013年7月24日、両スチームハンマーは機械遺産に認定。

「YOKOSUKA軍港めぐり」

YOKOSUKA軍港めぐりで観られる艦船は実に多彩。海上自衛隊の潜水艦や護衛艦、米海軍のイージス艦、タイミングによっては空母、砕氷艦(南極観測艦)、潜水艦など盛りだくさんです。毎日違う港の光景を間近に眺めながらのクルージングは横須賀ならではの魅力です。

♣詳しい情報はこちら

「YOKOSUKA軍港めぐり」公式サイト

情報・アクセス

♠「ヴェルニー公園」の詳しい情報はこちら

横須賀市観光情報公式サイト

♠「ヴェルニー記念館」の詳しい情報はこちら

横須賀市観光情報公式サイト

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