昭和記念公園『チューリップ』色とりどりのチューリップが楽しげに咲いています!

2017/04/18

国営昭和記念公園のチューリップが、今年も見頃を迎えました。

チューリップガーデンには、色とりどりのチューリップが、楽しげに咲いています🌷🌷

いよいよ、春本番がやってきたことを感じさせてくれます。

チューリップガーデンの向こうには、桜吹雪が舞っていました。

園内を一周するパークトレインに乗り、公園の全貌を楽しむことができました。

四季折々、楽しむことのできる昭和記念公園ですが。

5月の連休までは、チューリップが見頃です。

3/25(土)~5/28(日)まで、『フラワーフェスティバル』が行われています。

春色を感じる日帰り旅行には、ぜひおすすめのスポットです。

国営昭和記念公園

チューリップガーデン&園内🌷🌸ギャラリー

情報・アクセス

【住所】
〒190-0014 東京都立川市緑町3173

【TEL】
042-528-1751(公園管理センター・自動応答)

【営業案内】
3月1日~10月31日 9:30~17:00
11月1日~2月末日 9:30~16:30
※時期によって変動あり
年末年始(12月31日・1月1日)及び2月の第4月曜日とその翌日

【料金】
●入園料
一般 大人(15歳以上) 410円
小人(小・中学生)  80円
シルバー (65歳以上) 210円

●駐車場あり普通車820円

【アクセス】
JR中央線立川駅から徒歩約15分
JR青梅線西立川駅から徒歩約2分
多摩都市モノレール立川北駅から徒歩約13分
西武拝島線武蔵砂川駅から徒歩約20分

国営昭和記念公園公式サイト

概要

♣昭和天皇御在位五十年記念事業の一環として、「緑の回復と人間性の向上」をテーマに1978年(昭和53年)度より国土交通省の手で施設整備が進められてきた.
♣戦後米軍が旧立川飛行場を接収した立川市と昭島市の両市にまたがる立川基地跡地のうち、180haを記念公園として建設.
♣1983年(昭和58年)10月26日、昭和天皇臨席のもとに約70haで開園した.
♣その後、レインボープールや子供の森、日本庭園、砂川口、盆栽苑等次々と施設が整備される。
♣2005年(平成17年)11月にはみどりの文化ゾーンが共用され、同時に昭和天皇記念館が開館した。
♣立川基地跡に開設されており、レクリエーション施設としての面もあるが、大規模な災害が発生した場合は、避難場所としての機能を果たすよう設計されている。
♣立川市と昭島市の広域避難場所の一つに指定されている。
♣例えば、園路はスムーズに避難を行うために幅が広く作られており、芝生が広がるみんなの原っぱは避難所として、立川口駐車場・みどりの文化ゾーンは救援隊のベースキャンプ・救護所・物資集積所などとして活用できる。
♣防災関係機関が所在する立川広域防災基地が公園に隣接している。

チューリップの歴史

原産地・生産地

🌷原産地はトルコのアナトリア地方とされ、トルコ国内の宮殿(トプカプ宮殿等)やモスク(ブルーモスク等)に貼られたタイルに描かれている。
🌷生産地ではオランダが非常に有名で、各国へ輸出されている。
🌷トルコからオランダにチューリップが伝わったのは16世紀頃。
🌷日本のホームセンターや園芸品店で販売されている球根は、ほとんどがオランダからの輸入である。
🌷日本では、富山県や新潟県で大規模な栽培が行われている。
🌷両県を合わせた球根生産での国内シェアは98%(富山県53%、新潟県45%)である。

象徴

チューリップは国家や地方公共団体等を象徴する国花や県花として制定されており、花の栽培や球根の生産は元より観光の主力として注力していることが多い。

【国花】

イラン、アフガニスタン、オランダ、トルコ、ハンガリー

🌷トルコを原産とするチューリップは、外貨獲得のために主力輸出品として活用している。
🌷オランダでは代表的な風景の一部として、風車とともに紹介される。
🌷古くより経済に影響を与えた、重要な花の品種である。

来歴

古くはオスマン帝国でもてはやされ、オーストリアの大使オージェ・ギスラン・ド・ブスベックによってはじめてヨーロッパに伝わる。この伝来のときに誤ってチュルバン(ターバン)と伝わったために現在のチューリップと言う名が生まれた。後、ブスベックの友人クルシウスがオランダのライデン植物園に移り、そこでチューリップを栽培したところ評判となった。盗難が何度も起きたためクルシウスは栽培をやめてしまったが、その後オランダではチューリップ狂時代をはじめ、幾度と歴史上にチューリップが登場する事となる。16世紀末にはイギリスでも栽培が始まり、カーネーションやオーリキュラと共に早くから育種が進んだ。19世紀には多数の品種が生まれ、現在でもいくつかが栽培されている。

日本への伝来と栽培

日本には、江戸時代後期に伝来したが普及するに至らず、大正時代に入って、ようやく小合村(現:新潟市秋葉区)で本格的な球根栽培が始まった。このことから、新潟地域の栽培農家は新潟が「日本チューリップ発祥の地」と自負しており、道の駅花夢里にいつには記念碑が建てられている。1963年には新潟県の県花にも指定されている。しかし、新潟県は大正8年(1919年)なのに対し、富山県では大正7年(1918年)に東砺波郡庄下村(現:砺波市)の水野豊造により栽培されていたことから、少なくとも本格的な栽培は富山県が日本初となる(それ以前より栽培はされていたが、球根状態での保存が確立したのがこの時期である)。

伝説・民話

イスラエル
聖書に登場する岸辺のユリ、シャロンのバラはチューリップだと言われている。

トルコ、ペルシャ
ある村にファルハドと言う青年がいた、彼は村長の娘シーリーンと恋をしていた。村の井戸が枯れたときファルハドは水を得るために穴を掘った。掘ることだけに必死になり、水を得る事が出来たが、その頃にはシーリーンは亡き人となっていた。恋人の死を悲しんだファルハドは崖から飛び降りて命を散らす。その砕けた体から出た血からやがて真っ赤な花が咲いた。それがチューリップである。

オランダ
ある美しい少女に3人の騎士が求婚をした。一人は黄金の王冠、もう一人は剣、最後の一人は財宝をもって愛をささやいた。しかし、三人の騎士から求婚されたものの、誰とも選べぬ少女は悩んだ末に、花の精霊に願い、自分を花の姿に変えてもらった。結納であった王冠は花に、剣は葉に、財宝は球根になった。そして、花の姿に変えられた少女の名から、その花はチューリップと名付けられた。

チューリップ相場

デリバティブ取引のひとつである商品取引は、17世紀初頭にオランダで行われたチューリップ取引が起源であると言われている。当初は、植物愛好家間の取引であったが、投機的な資金が流入し、珍しい品種のチューリップの球根が高値で取引された。これを、チューリップ・マニアまたはチューリップ・バブルと呼ぶことがある。ハーレム、アムステルダム等での常設現物市場や、相対取引での先渡取引等、一般庶民を巻き込んで盛んに取引が行われたが、1637年の球根価格の暴落により、チューリップ・マニアまたはチューリップ・バブルは終焉した。(ウィキペディアより)

化粧品の原料

♥抗炎症作用やコラーゲン産生増強作用があり、化粧品の原料として応用されている。
いくつかの種類のチューリップ(ピンクダイヤモンドなど)

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