神楽坂を散策!石畳と坂のある街!かくれんぼ横丁で美味しいランチタイム!

2017/08/01

今日は、石畳と坂のある街・神楽坂を散策しました。

江戸時代には、多くの武家屋敷が建ち並び、徳川家ゆかりの寺も数多くあった神楽坂。

明治時代には、住宅街や商店街として発展。

尾崎紅葉や坪内逍遥などの文人が、このまちを舞台に活躍したとか。

大正・昭和の時代には、花柳界の全盛期。

そして今は、江戸の面影を残しながら、グルメやおしゃれなお店が集まる魅力的なまちに。

神楽坂通りを一歩横道に入れば、時間がゆっくりと流れる横丁や路地。

散策にぴったりのおすすめスポットです。

ランチをいただいた「かねいち」は、和食の美味しい、静かで居心地のいい、おしゃれなお店でした。

神楽坂

今日の散策コース

飯田橋駅⇒飯田濠⇒東京理科大学「坊ちゃんの塔」⇒若宮公園⇒神楽坂仲通り⇒かくれんぼ横丁⇒ランチタイム「かねいち」⇒本多横丁⇒神楽坂通り⇒毘沙門天⇒地蔵坂⇒光照寺⇒神楽坂通り⇒飯田橋駅

飯田濠

ここから飯田橋までの現在ビルが建っている一帯全部が、以前は深い濠になっており、飯田濠を呼ばれていた。
飯田濠は、市ヶ谷濠、牛込濠から神田川にかけて続いている江戸城、外濠のひとつであった。
昭和47年に市街地再開発事業としてビル建設が決定され、飯田濠は埋め立てられることになったが、濠を保存してほしいとい

う都民の強い要望から飯田濠の一部を復元した。この道路脇の石垣は、江戸時代のものである。昭和59年3月 東京都

暗渠となった飯田濠には、五つの橋が架かっています。

みやこ橋

JR飯田橋駅西口から右手にある「みやこ橋」親柱に都鳥の意匠が施されています。

みやこ橋は、駅ビルの2階に当たり、広場のような佇まいなので、フリーマーケットや神楽坂のイベントの催場となっています。

坊ちゃんの塔

夏目漱石の「坊ちゃん」の主人公が、東京理科大学の前身の東京物理学校を卒業して数学教師であったことに由来。

東京理科大学 近代科学資料館

残念ながら、今日は休館日。

若宮公園

若宮公園は、外堀通りの東京理科大学の脇道を上った通称「理科大の坂」の左側にあります。(飯田橋駅から徒歩5分)

公園の周辺には、江戸城外堀跡、牛込見附跡などの史跡があり、江戸時代には武家屋敷中心の町がつくられていました。そのことから、公園は武家屋敷をイメージし、冠木門、瓦葺の門、漆喰塀、瓦葺屋根を持つ四阿などが設置されています。

【案内板】

江戸時代の通称「振袖火事」(1657年)以降、雑木林や草原であった牛込地区に武家が移り住み、武家屋敷中心の町が形成されました。したがってこの公園は江戸時代の牛込を思い起こさせる武家屋敷をイメージした和風広場公園として整備しました。

若宮公園から神楽坂通りへ抜ける坂道

途中にある工房

神楽坂通り

飯田橋駅出口すぐの神楽坂下から始まる神楽坂通り。ケヤキ並木の坂道は、個性的な老舗やモダンな飲食店、和雑貨の店などで彩られています。

神楽坂の由来
坂名の由来は、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸説がある。

かくれんぼ横丁

「お忍びで遊びに来た人を後ろからつけて来ても、横に入られるとわからなくなる」ところから名付けられたと言われる横丁です。

趣のある石畳の路地に昔ながらの美しい黒板塀が続き、一本横の筋に入れば、往年の花街の風情が偲ばれる芸者新道に通じます。

「かねいち」でランチタイム

かくれんぼ横丁のビルの2階にある「かねいち」。

ジャズが流れていて、大人の雰囲気の、静かで居心地のいい和食のお店です。

気持ちのいい接客で、お料理もとても美味。

ランチタイムでは、鎌倉野菜の煮込みなど10種類のおばんざいのビュッフェが付いています。

神楽坂「かねいち」HP⇒こちらから

鯵フライ御膳と10種類のおばんざい 1,100円

善国寺

桃山時代後期の創建。「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、まちのシンボルにもなっています。

7月の神楽坂まつりでは『ほおずき市』が開かれ、宵に行われる阿波踊り大会とともに賑わいます。

詳しくは⇒善国寺公式サイト

【石虎 – 新宿区指定有形民俗文化財】

本堂の左右には神社の狛犬のように狛虎像が置かれています。案内板には「石虎」と表記され、制作は江戸時代後期のものです。

地蔵坂

この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵がありました。それに因んで地蔵坂と呼ばれました。また、藁(わら)を売る店があったため、別名「藁坂」とも呼ばれていました。

光照寺

“新宿区登録史跡 牛込城跡
所在地 新宿区袋町15番地
登録年月日 昭和60年12月6日
光照寺一帯は、戦国時代この地域の領主であった牛込氏の居城があったところである。
堀や城門、城館など城内の構造については記録がなく詳細は不明であるが、住居を主体とした館であったと推定される。

牛込氏は、赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とする。天文年間(1532~55年)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となった。天文24年(1555年)重行の子の勝行は、姓を牛込氏と改め、赤坂・桜田・日比谷付近も含めて領有したが、天正18年(1590年)北条氏滅亡後は徳川家康に従い、 牛込城は取り壊される。
現在の光照寺は正保2年(1645年)に神田から移転してきたものである。
なお、光照寺境内には新宿区登録文化財「諸国旅人供養碑」、「便々館湖鯉鮒の墓」などがある。平成七年八月 東京都新宿区教育委員会“

神楽坂通りに戻り、神楽坂下のメトロ入口から帰途へ

神楽坂通りへのアクセス

JR
総武線/中央線 飯田橋駅西口

東京メトロ
南北線/有楽町線/東西線 飯田橋駅
B3出口

都営地下鉄
大江戸線 牛込神楽坂駅
A2出口

飯田橋駅
B3出口

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