芝山はにわ道を通り芝山仁王尊・芝山はにわ博物館へ日帰りドライブ! 

2017/02/07

千葉県は関東でも最も古墳の多い地域の一つです。特に山武郡芝山町一帯は古墳時代に独自の埴輪文化圏を形成しました。芝山町(しばやままち)は、千葉県山武郡にある町です。成田国際空港の南側に位置し、一部空港用地が町内にかかっています。そんな芝山町にある「芝山仁王尊」と「芝山はにわ博物館」を訪ねてみました。「芝山仁王尊」では素朴で静かな境内をゆっくり散策。「芝山はにわ博物館」では、愛嬌たっぷりなひげ爺さんのはにわに出会いました。

芝山仁王尊「観音経寺」

概略

●「芝山」の由来は町の南部にある天台宗の寺院「芝山仁王尊」による。
●781年(天応元年)征東大使藤原継縄がこの地を訪れ十一面観世音菩薩を安置したのがこの寺の始まりとされる。
●その後は千葉氏の帰依を受けた。
●芝山仁王尊は江戸時代まで成田市の成田山新勝寺と信者を2分するほどの隆盛を誇っていた。
●成田山と決定的に参拝客の差が生じたのは、成田に鉄道が建設された20世紀初頭以降の事である。

歴史

藤原継縄の創建

日本年代記によれば、人皇第四十九代光仁天皇の宝亀十一年(780)正月、平城京が雷火に襲われ、皇室擁護の寺院が多く焼失したので、諸国に命じて新たに仏寺を建立した。丁度その時、征東大使として蝦夷平定の任にあった中納言藤原継縄朝臣がこの布令の下に当地に寺院を建立し、御本尊として奉持して来た十一面観世音大菩薩を奉安したのが、この寺の始まりであると伝えられている。

慈覚大師円仁による中興から現在まで

天長二年(825)、後に第三代天台座主となった慈覚大師円仁により中興され、次第に甍の数を増やし、近隣に八十余宇の子院を置くに至った。その後、治承年間には千葉介平常胤の崇敬を受け、許多の仏田が寄進され、永く祈願所として栄えるが、秀吉の小田原攻めの影響を受け、全山灰土と化した。
江戸時代に入り、徳川幕府の庇護の下、十万石の格式を持つ伴頭拝領寺として関東天台の中核をなす寺院となった。特に火事泥棒除け・厄除けの仁王尊天として大江戸の庶民の信仰を集め、いろは「四十八組」の町火消が纏を先頭に競って参詣したと伝えられている。
現在でも有名な新門辰五郎の旧「を組」の記念碑が境内に建っており、その信仰が今日迄連綿として伝えられている。

本堂

仁王門

三重塔

不動堂

情報・アクセス

芝山仁王尊公式サイト

芝山はにわ博物館

国指定史跡となった、殿塚・姫塚古墳をはじめ、地方の古墳より出土したはにわ150余点の他、考古資料を展示しています。

情報・アクセス

年中無休 9:30~16:30(入場は16:00まで)
【入館料】
一  般 200円
シ ル バ ー 100円(65歳以上)
小・中学生  100円
芝山はにわ博物館公式サイト

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