2017/12/08
ウィーンに別れを告げ、今日はプラハへ移動です。
ホテル⇒ウィーンインターナショナルバスターミナル8:00発⇒プラハ12:00着⇒地下鉄でホテルへ⇒トラムでマラーストラエリアへ⇒トラムでプラハ城⇒トラムでカレル橋⇒ボート乗船⇒カレル橋散策⇒旧市街広場(マラカスおじさん)⇒スーパーテスコ⇒ホテル
ウィーンインターナショナルバスターミナルから8:00発のバスでプラハ・フローレンツ・バスターミナルへ(12:00着)。
プラハはウィーンとは、また違った雰囲気・空気感・・・。
ウィーンは都会的。プラハは庶民的な感じがします。
プラハは、ザルツブルクやウィーンとはスケールが違う中世の街並みです。
1000年の歴史を持つプラハの街。
歴史的な建物が数多く残っている芸術の街。
「スラブ叙事詩」で有名なミュシャの街。
20世紀を代表する作家「フランツ・カフカ」の文学の街。
スメタナの交響詩「わが祖国」が流れる音楽の街。
街全体が赤レンガの屋根。
どこを歩いても中世の街にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。
街のあちこちでストリートライブを見かけ、
ミュシャやカフカが、今もなおプラハ市民から愛され、
すべての芸術がプラハ市民の日常に息づいているのを肌で感じます。
暗黒の時代や弾圧・革命の歴史を乗り越えた人々の街。
プラハの街は、ほんとに美しい~!
プラハ城
プラハ城は、世界で最も古くて大きなお城です。
9世紀から建設がはじまり、ボヘミア王国が繁栄を極めた14世紀に現在の姿となりました。
1346年にボヘミア王カレル4世が神聖ローマ帝国の皇帝となり、神聖ローマ帝国の首都はプラハに移されました。
プラハ城の拡張や、中欧初の大学「カレル大学」の創立、カレル橋の建設などが行われ、ローマやコンスタンティノープルと並ぶ、ヨーロッパ最大の都市にまで急速に発展しました。
プラハ城は、聖ヴィート大聖堂や旧王宮・黄金小路の家々など多くの建築物の集合体です。
これらの建物は、それぞれ異なる建築様式でつくられています。
ロマネスク様式やゴシック様式、バロック様式、ルネサンス様式など、様々な建築様式の美を目の当たりにすることができます。
聖ヴィート大聖堂
聖ヴィート大聖堂は、プラハ城の内側に位置し、多くのボヘミア王のお墓があります。
この大聖堂はゴシック建築の代表作であり、チェコで最も大きくて重要な教会です。
▲プラハ城の北門へ続く道から、聖ヴィート大聖堂の裏側が見えました。
▲あまりに壮大すぎて、カメラにおさまりません。
堂々たるゴシック建築に圧倒されます。
正面に82メートルの二本の塔、中ほどに99メートルの鐘楼が立っています。
▲大聖堂の内部は、天井の高さ34メートル、幅60メートル、奥行き124メートルの大空間です。
外観にも圧倒され、内部の大空間もみごと!
▲ステンドグラスの模様がおもしろい!
▲ミュシャが手掛けたステンドグラスは必見です!
写真の写りはイマイチですが、実物は繊細で色彩が絵画のように美しい~!
中央の赤い服を着た少年は、チェコの守護聖人・聖ヴァーツラフ。
ミュシャの息子イジーをモデルにして描いたという逸話があります。
2017年、ミュシャの「スラブ叙事詩」が日本にやってきました。
「スラブ叙事詩」も、プラハの民衆ひとりひとりがモデルでした。
「スラブ叙事詩」についての詳細はこちらから
旧王宮
▲旧王宮ヴラディスラフ・ホール
天井の模様が複雑できれいです!
16世紀完成当時は、ヨーロッパ最大のホール。長さ62m、横16m、高さ13m。
舞踏会、戴冠式の祝宴、室内乗馬競技などが行われた場所です。
黄金小路
▲プラハ城の中に、「黄金小路」と呼ばれる地区があります。
カラフルで小さな家が並んでいます。
今は、お土産物店になっていますが。
この通りの名前の由来は、「錬金術師」が住んでいたからだと言われています。
作家フランツ・カフカも、一時ここに住んでいました。
カレル橋
▲カレル橋はヴルタヴァ川に架かるプラハ最古の橋です。
神聖ローマ皇帝カール4世の治世下1357年に建設が始まり1402年に完成しました。
かつては、旧市街とプラハ城を結ぶ、交通の要として重要な橋でした。
▲ボートよりカレル橋を望む
▲16連のアーチ、長さ約516m、幅約10mの橋の欄干には30体の聖人像が並んでいます。
なかには日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル像もあります。
▲橋の上は多くの露店が並び、観光客で賑わっています。
▲また、大道芸やグラスの演奏をするおじさんが印象的♪♪
カレル橋から見たプラハ城は、なんとも美しい!
ボートから見たカレル橋とプラハ城は、さらに絶景!
ヴルタヴァ川を眺めていると、スメタナの交響詩「わが祖国」:モルダウが頭の中に流れてきます♪♪
プラハは、ほんとに美しい街でした・・・。