LCCで成田空港から福岡空港へ!風情ある小倉城・エキゾチックな門司港レトロを巡る旅

2017/05/28

成田空港からLCCで福岡空港へ。

福岡空港からレンタカーで小倉城・門司港レトロへ日帰りの旅に出かけました。

関門海峡に面した小倉は、古くから陸海の交通の要衝の地でした。

小倉城は、細川忠興によって築城され、城下町として繁栄しました。

現在の小倉城は復元されたお城ですが風情があり、城内は楽しく歴史を学べる展示室になっています。

飛脚と競争したり、大名籠に乗ったり、江戸時代の町並みを映像で再現したり。

隣接する八坂神社の神幸行事として、「祇園祭」が400年続いていることも発見でした。

門司港レトロは、古き良き時代と現代が融合した街。

明治時代の建物や大正浪漫を感じるエキゾチックな港町です。

関門海峡を隔てて、門司港から下関(唐戸)まで連絡船で5分。

宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島までは連絡船で10分。

古くから関門海峡は、歴史の舞台であり、北九州市はとても魅力的な地域でした。

【今日のスケジュール】

成田空港7:10発✈️⇒福岡空港9:00着⇒レンタカーで小倉城へ🚙⇒門司港レトロ⇒門司港⛴⇒下関(唐戸)⇒亀山八幡宮⇒下関(唐戸)⛴⇒門司港🚙⇒福岡空港20:30発✈️⇒成田空港22:20着

小倉城

概要

♠現在の福岡県北九州市小倉北区に築かれた鎌倉時代または戦国時代から江戸時代の日本の城である。

♠勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城などの別名がある。

♠関門海峡に面した小倉は、陸海の交通の要衝として、古くから砦や城が構えられた地。

♠近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在の縄張で総石垣造の城郭を築き、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。

♠現在、一部の石垣・堀が残り、天守・櫓・庭園と大名屋敷が再建されている。

♠天守閣は「唐造りの天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴的。

♠城の石垣は切り石を使わない野面積みで、素朴ながらも豪快な風情にあふれている。

歴史

♣小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことが始まり。
♣その後、高橋鑑種(たかはしあきたね)や毛利勝信(もうりかつのぶ)が居城。
♣関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興(ほそかわただおき)によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要する。
忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施。
外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭りも誕生させた。
♣細川氏熊本転封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真(おがさわらただざね)が、1632年に入国。
小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていた。
♣この時期、小倉は九州各地に通ずる街道の起点として重要な地位を確立し、同時に小倉城は一層充実し、城下町も繁栄した。
♣小笠原忠苗(ただみつ)の時期には、城内下屋敷に泉水を持つ回遊式庭園もつくられている。
♣しかし、1837年城内から発した火災によって全焼。2年後に再建されたが、天守閣は再建されなかった。
♣幕末期になると、小倉は長州藩を攻める第一線基地となり、その中で小倉と熊本藩は勇敢に戦うが、他の九州諸藩の兵には積極的な戦意がなく、ついに1866年、自ら小倉城に火を放って戦線を後退。
♣明治10年の西南戦争の際には、小倉城内に駐屯していた歩兵第14連隊が、乃木将軍に率いられて出征。
♣その後は、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に設置。
♣太平洋戦争後は米国に接収されるが、1957年に解除され、1959年市民の熱望によって天守閣が再建。

アルバム

【小倉城】

BS朝日、ロケ中で~す!(^^)!

小倉城庭園
松本清張記念館

基本情報・アクセス

小倉城天守閣
【料金】
一般  350円
中学生・高校生 200円
小学生 100円

【休館日】
年中無休

【開館時間】
4月〜10月 9:00〜18:00
11月〜3月 9:00〜17:00
(入館は30分前まで)

詳しい情報はこちらから
小倉城公式サイト

【アクセス】

♦JR小倉駅より徒歩約20分
♦JR西小倉駅より徒歩約10分
♦北九州都市高速・大手町ランプより車で約5分

小倉八坂神社

概要

♠1617年(元和3年)、小倉藩主細川忠興がに小倉藩の総鎮守として、祇園の社殿を鋳物師町に創建。

♠忠興は、愛宕山の祇園社を南殿に、古船場町の祇園社を北殿とし、一つの大きな神社を創建。

♠二つの祇園様を一緒にまつっている神社は、全国的にも珍しいもの。

♠1868年(慶応4年)の神仏分離令により『祇園社』から八坂神社と改名

♠八坂神社と言えば小倉祇園祭が有名。1618年(元和4年)から約400年の歴史を持つ神社の例大祭。
(毎年7月の第3土曜日・日曜日に開催されている。)

小倉祇園太鼓とは

小倉祇園太鼓(こくらぎおんだいこ)は福岡県北九州市の中心部である小倉で400年近く続いている「国選択無形民俗文化財」に指定された祇園祭である。小倉城を築城した細川忠興公が、城下の無病息災と城下町繁栄を願い、元和3年(1617年)に京都の祇園祭を模して始めたとされる。江戸時代は八坂神社の神幸行事としての「廻り祇園」が中心で、各町内が笛、鼓(つづみ)、鉦(かね)をはじめ、山車、傘鉾、踊車、人形飾り山などの出し物を、町内単位で披露していた。明治、大正時代を経て、山車の前後に太鼓を載せる現在の形となった。全国的にも珍しい太鼓の両面かつ歩行打ちが特長で、太鼓、ヂャンガラ(摺り鉦)、山車をひく子どものお囃子による一つとなった音の調和がすばらしい太鼓祇園である。(小倉祇園太鼓保存振興会HPより抜粋)

門司港レトロ

門司港について

♠門司は、平安時代から都と大宰府を結ぶ重要な場所であった。

♠明治22年(1889年)、門司港が開港。

♠大正時代にかけて欧州航路や大連・上海への大陸航路など、1か月に200隻近い外国船が入港する国際貿易港として繁栄。

♠最盛期には年間600万人近い乗客船で賑わった。

♠門司港レトロエリアには、明治から大正にかけて作られた建物が今でも残っている。

門司港レトロおすすめポイント

♣木造建築の門司港駅を初め、大正浪漫ただよう建物たちがエキゾチックな雰囲気を醸し出している。

♣ミュージアムや美術館など歴史やアートを感じられる場所も多く、 ゆっくりと散策を楽しむことができる。

♣少し足を伸ばした和布刈(めかり)エリアには、絶好のビューポイントがたくさんある。

♣歴史の重要な転換期にたびたび登場してきた関門海峡を望むことができ、関門大橋も間近に見ることができる。

♣武蔵と小次郎の巌流島まで船で10分で行ける。

門司の歴史

かつて、明治から昭和初期にかけ栄華を誇った街、門司。近代日本を支えた港町として歴史に名を刻んでいる。
明治二十二年に石炭などを扱う国の特別輸出港に指定され、貿易港としての地位を確立した門司は、その後、日清戦争、日露戦争の勃発と共に、ますます栄えていくことになります。中国大陸が近いこともあり、軍需品や兵士たちを送り出す重要な港となり、米、兵器、軍服などの品物を扱う商業が目覚ましく発展していきました。大正三年には門司駅新駅舎(現在の門司港駅)が完成。この年の八月に日本は第一次世界大戦に参戦。十一月には中国の青島を攻略し、門司は大戦景気に湧きたちました。その後、欧州航路の寄港地にもなり、港は莫大な利益を得ていくことになります。大陸貿易も盛んで満州などへの貿易船、大陸航路の客船で大変にぎわいました。この頃には、日本三大港(神戸、横浜、門司)の一つとして数えられ、重要な国際貿易の拠点となっていました。大商社や銀行が先を争って門司に支店を出そうとし、地価が暴騰したのもこの時期の事です。一坪八十円、現在の四百万円以上まで騰がったことを考えると、どれだけ門司が栄えていたか容易に想像できるでしょう。そして、大陸貿易の発展とともにもう一つにぎわったものがありました。料亭と花街です。門司には数多くの料亭があり、清滝には10件以上もの料亭が林立していました。旅館も多数あり、高松宮殿下が定宿としていた「三笠」もそのうちの一つでした。また、芸伎衆もおよそ200人、置屋も20軒以上あったと言われており、当時の華やかな風情が想像できます。このように、終戦前までは非常に栄えていた門司だが、終戦とともに大陸貿易が縮小され石炭も減り、港として低迷し次第に衰退していくことになります。そして、現在では『門司港レトロエリア』として生まれ変わり、年間200万人以上の人が訪れる観光地として、新たな歴史を歩もうとしています。(MOJIKO RETORO IF.より抜粋)

アルバム

明治45年に建築された煉瓦造りの重厚な建物

▼高さ103mから関門海峡と門司港が見渡せる

門司港レトロ展望室

全国で最大級の歩行者専用のはね橋

元祖瓦そば「たかせ」

♣瓦そば(かわらそば)は、山口県下関市豊浦町発祥の麺料理。
♣文字通り、熱した瓦の上に茶そばと具材を載せて、温かいめんつゆで食べる料理である。
♣1877年(明治10年)の西南戦争の際に熊本城を囲む薩摩軍の兵士たちが、野戦の合間に瓦を使って野草、肉などを焼いて食べたという話に参考にして、1961年(昭和36年)に川棚温泉で旅館を営む高瀬慎一が宿泊者向けの料理として開発したとされる。

九州と本州をつなぐ海の玄関口

門司港⇔下関(唐戸)。所要時間片道5分です

【亀山八幡宮】

♠亀山八幡宮(かめやまはちまんぐう)は、山口県下関市にある神社である。通称亀山さま。

♠関門海峡鎮護の神社として歴代領主の大内氏・毛利氏らの崇敬を受け、下関の総鎮守、長門国三宮とされた。

♠境内には、山陽道の終点を示す碑が建てられている。

唐戸

情報・アクセス

MOJIKO RETORO IF.公式サイト

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