日本初の洋式庭園『日比谷公園』を散策!大名の上屋敷跡!

2017/05/11

久しぶりに日比谷公園を散策してみました。

日比谷公園のある場所は、江戸時代は大名の上屋敷がおかれていたところです。

現在は、霞が関・有楽町などと隣接する都立公園です。

日本初の「洋式庭園」として誕生し、今年で開園114年となります。

日比谷公園の歴史に触れ、今まで気付かなかった新たな発見をすることができました。

日比谷公園

概要

♠東京都千代田区に所在する公園

♠霞が関、有楽町などと隣接し都心部に位置する都立公園

♠公園面積は161,636.66m2

♠幕末までは大名の上屋敷地

♠明治時代には陸軍練兵場

♠日本初の「洋風近代式公園」1903年6月1日開園

♠主な施設として、市政会館および日比谷公会堂、大小の野外音楽堂、日比谷図書文化館(旧・東京都立日比谷図書館)、「緑と水の市民カレッジ」、日比谷グリーンサロン、フェリーチェガーデン日比谷(旧公園資料館)、テニスコート、松本楼などがある。

♠公園内には災害用給水槽(有効水量1,500立方メートル)が設置されている。

日比谷見附

♣日比谷公園に残る貴重な江戸時代の遺構。

♣江戸城には30数か所の城門があり、警備の施設が置かれていたが、ここはその1つ、「日比谷御門」があった場所である。

♣現在の日比谷交差点に接するあたりが日比谷御門の一部であった。

♣そこには大きな石を積んだ石垣があり、石垣には「日比谷見附跡」と記された標識が立つ。

♣「見附」と「御門」は同じ意味で、特に外郭の城門を「見附」(=見張り)という俗称で呼んでいたらしい。今も四谷見附(四谷御門)、赤坂見附(赤坂御門)といった名が残っている。

「赤坂見附」は旗本3千石~1万石までの通用門

「日比谷見附」は外様大名の通用門

「大手御門」は譜代大名10万石以上の通用門

「平川御門」は譜代大名5万石の通用門

♣石垣の周囲は濠になっていたが、その一部を明治36年に「心字池」として残した。

心字池

♠禅宗の影響を受けた鎌倉・室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法のひとつ。

♠全体を上から見ると「心」の字をくずした形をしている。

♠日比谷公園の北東側角(有楽門)から入ったところ、史跡「日比谷見附跡」の横にある。

♠ここは日比谷公園が出来る前は濠だったが、その面影を残すために、公園造成時に『心字池』として造られた。

ホセ・リサール像

♣ホセ・リサール(フィリピン1861-1896)はフィリピンの独立運動に命を捧げた国民的英雄。

♣1888年の滞日中、現在の日比谷交差点付近にあった東京 ホテルに滞在したことから、日本人有志などの尽力により、1961年6月19日に設置されたもの。

アルバム

情報・アクセス

電車利用
東京メトロ丸ノ内線・千代田線「霞ヶ関」、東京メトロ日比谷線・千代田線「日比谷」、都営地下鉄三田線「日比谷」下車 (A10・A14)出口すぐ
JR「有楽町」下車 徒歩8分

駐車場(地下公共駐車場、有料)

東京都公園協会公式サイト

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