大人の休日倶楽部フリー パスで新幹線日帰りの旅!第三日目は米沢へ!上杉の城下町を散策!米沢牛は絶品!

2017/02/04

大人の休日倶楽部フリーパス「4日間JR東日本全線乗り放題チケット」で、新幹線日帰りの旅に出かけました。第三日目は、東京駅から米沢駅へ。上杉の城下町米沢、上杉神社・上杉家廟所を訪ねる旅。

(往路)東京駅発9:24つばさ131号⇒米沢駅着11:20
(復路)米沢駅発16:38つばさ150号⇒東京駅着18:48
2016年大河ドラマ「真田丸」に登場していた上杉景勝(遠藤さん)に思いを馳せ、上杉の城下町米沢を散策しました。雪に覆われた上杉神社・上杉家廟所は、この季節ならではの風情ある雪景色でした。お昼にいただいた米沢牛の鉄板焼きは、柔らかくてとろけそうな絶品でした!

上杉の城下町米沢

米沢市とは

概要

●米沢市は山形県の最南端に位置し、山形県の母なる川「最上川」の源である吾妻連峰の裾野に広がる米沢盆地に位置し、福島県と県境を接している。
●米沢の地名は、歴史上中世後期から見られる。
●地名の由来はヨネ(米)のなるサワ(草の生える湿地)との説や白い水が沸く米井(よねい)があることからきた説などがある。
●米沢のまちなみは、鎌倉時代にこの地に地頭が置かれて以来形成されてきた。
●伊達氏が212年間、上杉氏が272年間、本市を含む置賜地方を領したことから、城下町としてのまちなみが形成された。
●現在のまちの原型は、上杉氏の家臣の直江兼続によって築かれた。

米沢市ゆかりの人物

「上杉鷹山」
●鷹山は第9代の米沢藩主
●財政が大逼迫していた米沢藩に宮崎県の秋月家から藩主として迎えられる。
●自ら大倹約の改革を断行するとともに、数々の殖産振興政策を展開して藩財政を立て直した経営業績で知られています。
●鷹山の政治信条は当時の封建時代の中にあって民主主義思想に近いものがあり、現代においても注目されています。

「伊達政宗」
●「独眼竜政宗」として戦国の世に名を馳せた「伊達政宗」は、米沢城で生まれ24歳までの多感な青年期を過ごしました。

上杉神社

概要

●上杉神社(うえすぎじんじゃ)は、山形県米沢市にある神社。
●明治9年、上杉謙信、上杉鷹山を祭神として、米沢城本丸跡に建立。
●明治35年に別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ=明治政府が定めた神社の位置づけ、分類を表す。国に尽力した人物を祀る神社)に指定され、このとき祭神は謙信のみとなり、鷹山は摂社に祀られ松岬神社となる。

歴史

上杉謙信が天正6年(1578年)、越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られたが、次代の上杉景勝が会津を経て慶長6年(1601年)に米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された。
以後、米沢城二の丸の法音寺を主席とする十一ヶ寺が交代で祭祀を執り行ってきたが、明治に入ると神仏分離令、廃城令などにより、謙信の遺骸が城内から上杉家廟所に移され、その守護のために法音寺も廟所前に移転した。更に、城内に留まっている謙信の霊魂を神式で祀るため、十一ヶ寺次席の大乗寺の僧侶が還俗して神官となった。この時、姓を大乗寺とし、現在も同家で宮司職を務めている。
併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、山形県社「上杉神社」とした。明治9年(1876年)5月21日、現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座された。
明治35年(1902年)4月26日には別格官幣社に列せられる。この時鷹山は新たに設けた摂社「松岬神社」に遷され、上杉神社は再び謙信のみを祀ることとなった。
大正8年(1919年)の大火で境内は本殿以下全焼し、伊東忠太の設計により現在に残る社殿が再建された。(ウィキペディアより)

情報・アクセス

米沢観光ナビ公式サイト

●電車
奥羽本線(山形新幹線)米沢駅から徒歩で約20分。
米坂線南米沢駅から徒歩で約10分。

●バス
米沢駅から山交バス白布温泉行きで8分。「上杉神社前」で下車、徒歩3分。
米沢駅から市民バス市街地循環右回りバス(青色のバス)で11分。「上杉神社前」で下車、徒歩3分。
仙台駅から高速バス・仙台 – 米沢線で130分。「上杉神社前」で下車、徒歩3分。

●車
高速道路…東北自動車道福島飯坂ICから国道13号を米沢方面へ。13号米沢バイパスから車で約15分。
一般国道…喜多方方面か

上杉家廟所

概要

●上杉謙信をはじめ米沢藩代々の藩主が眠っている。
●上杉景勝が亡くなった元和9年(1623年)より上杉家の御廟所とされた。以後、歴代の藩主が埋葬されてきた。
●明治6年の米沢城解体に伴い、米沢城に安置されていた上杉謙信の遺骸も、明治9年、御廟所へ移された。
●廟屋は、上杉景勝から7代藩主・上杉宗房までが入母屋造り、8代藩主・上杉重定(藩政を立て直した名君・上杉鷹山の義父)から11代藩主・上杉斉定までが宝形造りと、時代により建て方に変化がある。
●樹齢400年を越す老杉に囲まれ、厳粛な空気に満たされている御廟所は、大名の墓所の代表例として国の重要史跡に指定されている。

歴史

【藩政時代の上杉家廟所】

二代景勝公廟を中心に左右交互の廟

二代景勝公が逝去された約390年前に歴代藩主の墓所と定まる。その後、景勝公を中心に左右交互に廟が建てられた。廟の前方には拝殿が造営されていた。また、各廟の参道も今より前方に延びており、その周囲には、千基を超える石灯篭が寄進されて並んでいたと言われている。なお、謙信公の御遺骸は越後春日山から会津を経て米沢へ遷され、米沢城本丸に祀られていた。

施設情報・アクセス

上杉家廟所公式サイト

●拝観時間
9:00~17:00
(受付は16:30まで)

●拝観料金
一般350円(250円) 高・大200円(150円)
小・中100円(80円)
※障がい者割引 250円(200円)
※( )は20名以上の団体割引

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