大人の休日倶楽部フリーパスで新幹線日帰りの旅!第四日目は信州松本へ!北アルプスに映える国宝松本城の美しさに感動!

2017/02/05

大人の休日倶楽部フリーパス「4日間JR東日本全線乗り放題チケット」で、新幹線日帰りの旅に出かけました。第四日目は、東京駅から松本駅まで日帰りの旅。

(往路)東京駅発9:20JR新幹線かがやき507号⇒長野駅着10:45⇒長野駅発11:00JR特急ワイドビューしなの10号⇒松本駅着11:52
(復路)松本駅発17:18JR特急あずさ30号(千葉行き)⇒船橋駅着20:37

北アルプスの玄関口松本駅。高校時代から幾度となく訪れた駅ですが、いつも通過地点でした。今回は、城下町松本をゆっくり散策する旅。空気は冷たいけど、天気は快晴!青空の下で、真っ白に輝く北アルプスを背に眺める松本城の美しさは格別でした。

冬の松本城散策の旅

松本城のみどころ

現存する五重天守の実物をみることができるのは松本城と姫路城だけ。
北アルプスを借景にした雄大な景色の中に立つ平城の天守。
黒と白の対比の美。(壁面の上部は白漆喰、下部を黒漆塗りの下見板で覆っている)

国宝松本城

概要

●松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まり。
●現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城。
●黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観。

松本城の特徴

北アルプスを借景にした雄大な景色の中に立つ平城の天守
現存の12城の多くは平山城ですが、松本城は平城で、天守を囲んで三重の水堀が巡っています。バックに北アルプスの山々を借景として、堀に姿を写す天守は、他の城ではみられない絶景です。

黒と白の対比の美
天守建物は、壁面の上部を白漆喰、下部を黒漆塗りの下見板で覆っています。この漆喰の白と漆塗りの黒の対比が絶妙な美しさを醸し出しています。

戦闘に備えた天守と優雅な月見のための櫓
戦国末にあげられた天守に、世の中が落ち着いた寛永年代に増設された月見櫓がついています。月見櫓は舞良戸で三方を開放し朱塗りの刎高欄がまわりをめぐるという優雅なまったく武備がない建築物です。天守の建物に月見櫓が接続しているという造りは松本城だけで、時代によって天守の意味づけが変わってきた様子をみることができます。

外観は五重、内部は六階
外観は層塔型のように下から上に向かって細くなっていっていますが、内部には三階に屋根裏部屋のように外から見えない階ができています。これは乾小天守でも同様で、外観三重ですが内部は四階になっています。この外側から見えない階ができるのは、望楼型と呼ばれる天守に共通することで、松本城は、構造は望楼型でありながら、外見は層塔型のように見える天守になっています。

通柱によって高層化をはかる
一・二階を通柱で組み立て、その上に三・四階を通柱、五・六階を通柱で組んだものを積み上げていくという構造で、高層化をはかっています。松本城の通柱は天守三階でよくみることができます。

石垣内部に土台を支える柱16本
天守台のなかに、30~40センチメートルの直径で5メートルの材を16本たて、それを貫で繋ぎ、その上に天守の土台を敷いています。現代のパイル工法のような仕組みが施されています。

石垣下には筏地形
天守台南・西面の石垣を積むとき、地盤の弱いところの根石が沈みこまないために、筏のように材木を敷き詰め、その上に根石を敷いています。これによって、石垣の石を安定させています。

一階から三階までは、柱が林立
大天守1階の柱群大天守1階の柱群
天守一階から三階までは柱の数が多く、四階から上は柱の数も減ってやや広い空間が設けられています。下層は骨組みがしっかり造られています。

松本城の歴史

戦国時代の永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれています。
武田信玄は林城にいた小笠原長時を追い出すと、つぎの目標である北信濃への侵攻の拠点として、平地にあった深志城の場所を選びました。
深志城を拠点とした武田氏の統治が32年間続きました。しかし、天正10年(1582)織田信長によって武田氏が滅ぼされると、木曽から入った木曽義昌、それを追って上杉景勝の後ろ盾を得て入った小笠原洞雪と城主がかわりました。小笠原長時の嫡子貞慶は信濃に帰って旧臣の支援を取り付け、深志城を奪還して深志を松本と改めました。
領内の平定と、城郭と城下町の建設に手をつけた貞慶でしたが、徳川家康の関東移動にともなって息子の秀政とともに古河へ移ることになり、天正18年、8年間いた松本を離れました。このあと、豊臣秀吉の命を受けた石川数正が松本へ入ってきます。
石川数正は元々徳川家康の重臣でした。家康の人質生活をともに送り、家康が独立してからは岡崎城の城代を任され西三河の旗頭を務めていました。ところが天正13年(1585)、数正は一族を連れて大坂へ出奔し豊臣秀吉配下の一員になります。そして和泉国で10万石を与えられていました。天正18年、秀吉は古河へ移った小笠原氏のあとへ石川数正を入れました。
石川数正は息子康長とともに小笠原貞慶が手をつけた城郭の整備と城下町の拡充に着手します。
松本入封から2年後の文禄元年、数正は文禄の役で出兵中に滞在先で死去し、代は康長に替わります。

歴代城主

松本の城主は6家23人です。

城主家主な官途石高前任地転封先
石川氏伯耆守(数正)
玄蕃頭(康長)
8万石和泉国改易除封
小笠原氏信濃守(秀政)
右近大夫(忠政)
8万石信濃飯田播州明石 10万石
戸田氏丹波守(康長)
佐渡守(康直)
7万石上野高崎播州明石 7万石
松平氏出羽守(直政)7万石越前大野出雲松江 18万6千石
堀田氏加賀守(正盛)10万石武蔵川越下総佐倉 11万石
水野氏隼人正(忠清他)
出羽守(忠職他)
日向守(忠幹)
7万石三河吉田改易除封
戸田氏丹波守6万石志摩鳥羽廃藩置県

このうち戸田家は2度松本へ入っています。石川氏は改易・御家断絶、水野氏は改易となっています。水野氏改易後戸田家が入るまでの間には幕府が直接管理をする時期があって、その任には松代藩の真田氏がつきました。
在任期間は初期のうちは短く、水野氏の代から長期になります。最長は2回目の戸田氏で145年間です。譜代の大名が城主となり、松平直政が家門の大名です。禄高は6万石から8万石で、堀田氏は江戸近辺の所領分3万石を合わせて10万石で入封しています。徳川将軍家との関係をみると、石川氏は徳川家を離れますがかつての重臣、小笠原秀政は家康長男信康の娘福姫(登久姫)を、戸田康長は家康の生母於大が生んだ義妹松姫を妻とし、松平直政は家康二男秀康の子、堀田正盛は3代家光の寵臣、水野氏は家康生母の実家筋と、徳川家と深いつながりをもった家々が城主となっています。

松本城略年表

●1504(永正元)
島立右近貞永が深志城を築くと伝える。
●1550(天文19)
武田信玄が深志へ攻め込む。小笠原長時は深志から逃れる。武田氏が深志城の改修に着手する。
●1582(天正10)
織田信長軍が武田勝頼をやぶり、武田家が滅びる。
深志城に木曽義昌が入る。その後上杉氏の後ろ盾で小笠原洞雪が入る。小笠原貞慶が洞雪を追い出して、深志を松本と改称し、城郭と城下町の整備に取り組む。
●1590(天正18)
小笠原貞慶・秀政が古河へ移る。豊臣秀吉は石川数正を松本城主とする。 石川氏
●1593(文禄2)
松本城天守の建築が進む。
●1600(慶長5)
関ヶ原合戦に石川氏は徳川方に加わる。
●1613(慶長18)
石川康長が大久保長安事件に連座して改易になる。
小笠原秀政が信濃飯田から松本へ入る。 小笠原氏
●1614(慶長19)
小笠原氏が徳川方として大坂冬の陣に参戦。石川数正の2男康勝は豊臣方に加わる。
●1615(慶長20)
小笠原秀政・忠脩親子が大坂夏の陣で戦死する。
●1617(元和3)
戸田康長が高崎から松本へ入り、城の北部に武家住宅地を広げる。 戸田氏
●1633(寛永10)
松平直政が松本城主となり、以後辰巳附櫓や月見櫓を天守に増設したり、城内外を整備したりする。 松平氏
●1649(慶安2)
水野忠職が領内の一斉検地をおこない、以後の土地台帳の基本となる。水野氏
●1725(享保10)
水野忠恒が江戸城内で刃傷事件を起こし、水野家は改易になる。松本城は幕府が収公し、松代の真田氏が城を受けとり預かる。水野氏の代に松本の城下町の姿が完成する。
●1726(享保11)
戸田氏が再び松本へ入る。 戸田氏
●1727(享保12)
本丸御殿を失火で全焼する。以後戸田氏は本丸御殿を再建せず、古山地御殿を拡張した新御殿を建設して使用する。
●1743(寛保3)
幕府から5万石余の幕府領を預かる。
●1775(安永5)
松本町大火(綿屋の火事)で城下町南部と三の丸・二の丸の一部を焼く。
●1869(明治2)
藩主戸田光則は版籍を奉還して、松本藩知事となる。
●1870(明治3)
廃仏毀釈が行われる
●1871(明治4)
廃藩置県で松本県になる
城郭の諸門の破壊が始まる。天守は兵部省が接収する。
筑摩県が設置され、二の丸御殿が県庁となる。

情報・アクセス

国宝松本城公式サイト
【松本城の天守観覧時間等】
・観覧時間
午前8時30分から午後5時まで
ただし、入場できるのは午後4時30分まで
※GWおよび夏期は時間延長あり

・定休日 12月29日から1月3日

【観覧料】

・個人の場合
大人 610円、小中学生 300円
・20人以上99人まで
大人 550円、小中学生 270円
・100人以上299人まで
大人 480円、小中学生 240円
・300人以上
大人 420円、小中学生 210円
(松本市立博物館との共通券となります)

【松本城へのアクセス】
◇自動車の場合
長野道松本ICから、国道158号を松本市街地へ向かい約3km
<市営駐車場>
普通車
市営松本城大手門駐車場 30分毎150円
市営開智駐車場 1時間200円以降30分毎100円
観光バス等大型車
市営松本城大手門駐車場 30分毎250円
市営開智バス専用臨時駐車場 1時間510円以降30分250円
◇JR松本駅から
徒歩 約15分
バス タウンスニーカー北コース(料金200円)
「松本城・市役所前」下車

旧開智学校

概要

●旧開智学校は明治6年(1873)に開校。
●明治9年に新築されたわが国最古級の擬洋風小学校建築。
●構造は木造で桟瓦葺、寄木2階建土蔵造りで中央に八角塔が高くそびえ立ち、各窓に舶来のギヤマンが取り付けられている。
●現在は教育博物館として教育資料約3万点が保存されている。

施設情報・アクセス

●営業期間
大人:300円 小人:150円 (団体割引:有)
●休業日
毎週12月~2月の月曜日(月曜日が休日の場合はその翌日)/年末年始/3月~11月の第3月曜日

【アクセス】
●自動車利用:松本ICから 4km 15分
●鉄道利用:JR中央本線松本駅下車 バス 12分
●鉄道利用:JR中央本線松本駅下車 →徒歩 25分

タイトルとURLをコピーしました