2018/12/04
金剛山頂からの下りは、
千早城趾に立ち寄り下山しました。
千早城趾周辺は、ところどころ綺麗な紅葉が残っていました。
一度来てみたかった千早城ですが。
予想通り、堅牢な山城そのものでした。
「千早城」ってどんな城?
♦日本百名城の一つ
♦金剛山一帯にあった山城の一つ
♦1332年(元弘2年)築城
♦鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成(1294~1336?)の城
♦三方を深い谷が囲み、残りの一方は金剛山の山頂へ連なる尾根となっている山城
♦難攻不落の城
正成が奇策を用いて籠城戦を戦いぬき、最終的に幕府軍を撤退させる事に成功した事で有名。
▲登城口から本丸までの階段は、半端ない・・・。
私達は、下りでよかったけど・・。
いかに堅牢な山城だったかを思い知ることができました!
▲二ノ丸跡に建つ記念碑
▲二ノ丸跡には千早神社があります。
本丸は、その奥にあったようです。
▲赤と黄色と緑のコントラストが、とってもきれい~!
あと1週間早く来れば、真っ赤に染まった千早城を見れたでしょうね!
楠正成ってどんな人?
楠木 正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
父は楠木正遠とされる。息子に正行、正時、正儀がいる。
後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏らとともに天皇を助けた。
尊氏の反抗後は新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。
明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。(出典:ウィキペディア)