川から眺める江戸・東京の街!日本橋川・神田川クルーズへ行く!

2016/11/22

日本橋から船に乗り都心の川を探検してきました。いつもは、高速道路の上から眺めたり、車で橋を渡ったり、散策しながら歩いて眺めたり。普段は見ることのできない江戸城の石垣や御茶ノ水渓谷など江戸・東京の街並みを船上から眺めることができる楽しい日帰り旅行でした。

日本橋川・神田川を巡る一周コース (90分)

日本橋船着場~日本橋川~常磐橋~三崎橋~水道橋~神田川~聖橋~万世橋~柳橋~隅田川~豊海橋~日本橋川~日本橋船着場

日本橋クルーズ公式サイトは⇒ こちら

日本橋川

千代田区三崎町三丁目三崎橋で神田川から分かれ南流、皇居北側を経て中央区へ入り新川一丁目豊海橋下手で隅田川に注ぐ。延長4.84km。現在ほぼ全流路に渡って首都高速道路の高架下を流れている。川面が開けるのは日本橋を通過後・亀島川が分岐してから河口に至るわずか500m弱でしかない。
古来隅田川とともに江戸を代表する河川であった。太田道灌の江戸城築城の頃は、小石川や江戸川(神田川中流)の水流を合わせ神田台と田安台の間を南流、日比谷入江に注ぐ平川であったのが(江亭記・東京市史稿)、江戸開府後は改削され、千代田区大手町常盤橋付近の河口が埋め立てられ流路変更され、現在の日本橋川になったと考えられる。慶長8年には日本橋架設。江戸川・新川・小名木川経由の舟運と結び、市街中心部に物資を送る経済線でもあった。
川流域は水運の便が良かったことから、江戸から近代に至るまで経済・運輸・文化の中心として栄えた。周辺には河岸が点在し、全国から江戸・東京にやってくる商品で賑わった。現在でも周辺に小網町、小舟町、堀留町など当時を思わせる地名が残っている。
(参考文献:角川日本地名大辞、Wikipedia、他)

日本橋川 日本橋船着場より乗船

日本橋

江戸幕府を開いた徳川家康が全国道路網整備計画に際して架け、日本橋を5街道の基点としました。現在の石造りの橋は、1911年に建造された20代目。再来年で、なんと100周年を迎えます。

関東大震災で被害を受けた日本橋の痕跡



常盤橋は工事中

江戸城の城郭門「常磐橋御門」の見附橋として架けられたもので、東京で最も古い橋の一つといわれています。橋のたもとには常盤橋御門の跡が残されており、国の史跡に指定されています。


東京の街は、大規模再開発のプロジェクトが、日々進んでいます。2027年には、日本一高い390mの超高層複合ビルが完成する予定です。(大阪のあべのハルカスが現在一位)

神田橋

一ツ橋

江戸城石垣

徳川幕府は江戸城およびお濠や石垣工事にともなう石材採取および運搬を中国・四国・九州の大名に命じ、主に伊豆半島の東海岸より切り出しました。
江戸城石垣跡には天下普請によって動員された大名の刻印が残っています。

雉子橋

宝田橋

俎橋

あいあい橋

神田川

三鷹市の井之頭池を水源として東流する。神田上水の分流。杉並区、中野区、新宿区、文京区を経て、JR水道橋駅西側で日本橋川を分流、中央区日本橋二丁目両国橋上手で隅田川に注ぐ。延長25.48km。東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることは極めて稀である。
神田川の名は1550年北条氏泰が用土新左衛門に与えた文書に「神田川よけの郷」と見える。かつては文京区関口の大滝橋より上流を神田上水、大滝橋下流からJR飯田橋駅付近の船河原橋までを江戸川、下流は中世までは平川、江戸期になって神田川と呼んでいた。1964年の河川法の改正でこの水系全体を神田川と称するようになった。
高度経済成長期には生活排水の流入により水質が悪化し「死の川」と呼ばれたが、周辺部に落合水再生センターなどの下水道網、下水道処理施設の整備が進み、元々湧水が多いことなどから近年は水質が以前に比べると大幅に改善し、鯉や鮎、鮒などが生息するようになった(鮎は1993年から毎年確認されている)。
(参考文献:江戸東京の川と水辺の事典、Wikipedia、他)

ここからは、船は神田川に入ります。
後楽園橋


水道橋

水道橋分水路

御茶ノ水駅

御茶ノ水渓谷

御茶ノ水付近は緑溢れる渓谷の景色を楽しめます。

東京メトロ丸の内線高架下

JR総武線高架下


昌平橋

お茶の水分水路

旧万世橋駅遺構(赤レンガ高架橋)

2013年新たに生まれ変わった「旧万世橋駅遺構(赤レンガ高架橋)」も船から見上げる!

この辺りは、江戸時代から続いている船宿がある地域です。

江戸通りが走っている浅草橋

柳橋をくぐるとそこは隅田川

いよいよ船は、隅田川にはいりました。
スカイツリー・JR総武線の鉄橋が見えます。

首都高速7号線

新大橋

清洲橋とスカイツリー

江戸時代の清洲橋

豊海橋

中央大橋

中央大橋(ちゅうおうおおはし)は、隅田川にかかる橋で、東京都道463号上野月島線中央大橋支線(八重洲通)を通す橋である。西岸は中央区新川二丁目、東岸は中央区佃一丁目。
時節柄、機能やコスト一辺倒であった昭和の橋とは違い、都市景観やデザインに気遣いをもたせてある。夕刻から夜10時までは、白色の水銀灯と暖色系のカクテル光でライトアップされ美しい。バブル絶頂期ということもあり、分不相応なほどの贅沢な造りではあるが、まさに中央区のシンボルとしての「中央大橋」の名に恥じないものである。

  • 構造形式 二径間連続鋼斜張橋
  • 橋長 210.7m
  • 幅員 25.0m
  • 竣工1993年(平成5年)8月26日

(レインボーブリッジと同じ日である)

  • 橋桁製作 石川島播磨重工業横浜工場

隅田川はフランスのセーヌ川と1989年(平成元年)に友好河川を提携しており、中央大橋を架橋する際に、フランスのデザイン会社に設計を依頼した。そのためか、主塔および欄干部分に日本の「兜」を意識した特徴的な意匠が施されている。また上流側の中央橋脚部には当時のパリ市長であったジャック・シラクから東京都に友好の印として贈られた彫刻家オシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」と名づけられた彫像が鎮座する。彫像は川側を向いており、橋をくぐる水上バスからの方が見やすい。なお、このお礼にパリ市に「屋形船」を寄贈している。

  • 隅田川

(上流) – 隅田川大橋 – 永代橋 – 中央大橋 – 佃大橋 – 勝鬨橋 – (下流)

上流側の中央橋脚部彫刻家オシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」と名づけられた彫像

聖路加タワー

ここからは亀島川です。たった全長1㎞の河川


南高橋

亀島橋

亀島川には、河岸の名残が残っています。

霊岸橋

日本橋水門

日本橋川に帰ってきました。

茅場橋

日本橋に到着

今日のひとこと

日本橋川・神田川クルーズは、ほんとにおすすめの楽しいクルーズでした。ガイドさんは江戸の歴史に精通されていて、説明がとてもわかりやすく、楽しみながら歴史も学べました。普段見れない違った角度から東京の街並みを眺めることができて、まさに発見と感動の船旅でした。スカイツリーと清洲橋のコラボをベストスポットで見ることができるのもクルージングの楽しみの一つでした。

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