「穴八幡宮」は商売繁盛・金運アップのパワースポット!8代将軍吉宗、流鏑馬奉納の神社!

2017/09/16

穴八幡宮は、新宿区の早稲田通りと諏訪通りの交差する場所に大鳥居が建っています。
メトロ東西線の早稲田駅からは徒歩3分。
本殿は小高い丘の上にあり、参道は長い石段となっています。
この丘は、前方後円墳という説があるそうです。

毎年、冬至の日から翌年節分までの期間限定で頒布される「一陽来復御守」は江戸元禄年間から始まったと言われています。「金銭融通のご利益がある」として商売繁盛や金運アップで有名なパワースポットです。
現在でも冬至の日の朝から午後にかけて、大勢の人が並び、年末の風物詩となっています。

歴代将軍も度々参拝したといわれる穴八幡宮。
8代将軍吉宗は、世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納し、その後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納されました。
現在では、「高田馬場流鏑馬」として、毎年体育の日に都立戸山公園で行われています。

穴八幡宮

穴八幡宮(あなはちまんぐう)は、東京都新宿区西早稲田二丁目の市街地に鎮座している神社。
蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされています。
旧称は高田八幡宮。

歴史

社伝によれば、1062年(康平5年)源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったという。
1636年(寛永13年)ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神とした。
1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。
歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍徳川吉宗は、1728年(享保13年)に世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納した。流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納され、穴八幡宮に伝わる「流鏑馬絵巻」には1738年(元文3年)に奉納された竹千代(後の10代将軍徳川家治)誕生祝の流鏑馬が描かれている。
江戸の庶民からも信仰を集め、特に蟲封じの祈祷は有名だった。1879年(明治12年)には皇太子(後の大正天皇)の御蟲封祈祷も行っている。
1945年(昭和20年)の東京大空襲で、建物の多くを焼失。
1961年(昭和36年)御鎮座900年事業として本殿再建工事を開始。
1989年(平成元年)引き続き幣殿、拝殿工事を行う。
1998年(平成10年)、隨神門を室町時代の様式で再建す、なお境内全域を古書を基に未だ再建途中。(ウィキペディアより)

「一陽来復」お守り

穴八幡宮で「一陽来復」のお札・お守りを授与する伝統は、江戸時代元禄年間から始まったと言われています。
一年で一番昼の時間が短い『冬至の日』を境に、日が一日一日と長くなっていくことを、中国の易の言葉で「一陽来復(いちようらいふく)」と言います。
「一陽来復」は、「陰極まって一陽を生ずる」、「よくない事の続いた後に、良い事がめぐって来る」と言う意味の言葉です。
穴八幡宮から授かった「一陽来福」の御守り・お札をその年の恵方に向けて、冬至(12月21日)、大晦日(12月31日)、節分(2月3日)のいずれかの深夜0時に高い場所にお祀りするとお金繰り(金銀融通)が良くなるといわれ、商売繁盛・金運アップのお守りとして有名です。
毎年、冬至の日から翌年節分までの期間限定で頒布されています。

境内風景

基本情報・アクセス

場所
〒162-0051 東京都新宿区西早稲田2-1-11

電車
地下鉄東西線「早稲田駅」から徒歩3分。

バス
都営バス学02・早77・早81の各系統で馬場下町停留所下車。


首都高5号線早稲田ICから車で4分。

駐車場
参道脇にコインパーキングあり

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